9月17日<世界選手権エドモントン大会>

 

―― ジブティ選手の不参加 ――

 8月3日より行なわれた「世界陸上エドモントン大会」に、ジブティ代表団のコーチとして帯同することになり、3週間現地に滞在してきました。

日本では、室伏・為末選手らの活躍に沸いたと聞いています。ジブティでは、陸上競技はサッカーと並ぶ2大人気スポーツであるため、選手が少しでも活躍すれば、国を挙げての盛り上がりとなります。われわれジブティ陸連が選抜した代表選手は、5,000mに13分30秒くらいの選手を1名、マラソンに2時間14分台の選手1名の計2選手と、メダルや上位を争えるレベルにはありませんでしたが、それでも一矢報いたいものだ、お世話になっている人々に恩返しできれば、との野望をもって現地に赴きました。現実的には、5,000mでは決勝進出、マラソンでは自己ベストを意識しつつ、行けるところまで行く、という辺りを目標に据えて試合に臨む腹づもりでした。

 ところが、大会直前になり、2選手ともに参加させられないことになりました。選手選考やトレーニングを巡り、春先から陸連内部でずっとゴタゴタがつづいていましたが、試合を目前に控えた最後の最後で、2選手の所属する軍の長官とコーチから「待った」がかかり、言葉は悪いですが、結局は彼らに計画を潰されてしまった、といったところでした。コーチとして遠征しておきながら、選手を出場させることができなかったのは、無念の一言に尽きます。

しかし、現地では、私のもうひとつの任務である「日本陸連をはじめとする各国陸連とコンタクトをとること」を中心に毎日動くことができました。また、コーチングセミナーへの出席や選手村での生活、そして何よりスタジアムでの日々と、多くの貴重な経験を持つことができました。スタジアムでは、レースもさることながら、世界のトップアスリートたちの「競技前後のケア」などをじっくり観察することができ、選手村では、彼らや彼らのコーチたちと生活をともにする機会に恵まれました。

 

―― 選手村について ――

今回の大会では、選手村が二つ用意されており、われわれが宿泊したのは滞在費の安い方、アルバータ大学の学生寮でした。国の経済力や国際陸連の中での力関係がこのあたりにも反映されているようで、われわれが滞在した学生寮には、どちらかと言うと途上国や経済的に恵まれていない国が多く、一方、日本選手団も滞在していたホテル街の方の選手村は、先進国や国際陸連の理事が関わる国が多いようでした。

 宿泊の器は違いましたが、食堂や娯楽施設をはじめ、インフラは両者ともにとても充実しており、世界最高の舞台で競技に向かおうとしている選手たちを受け入れるに相応しいものでした。また、選手村の内外、スタジアム、市内各所にて、ボランティアで大車輪の活躍をしていた、エドモントン市民の献身的な姿には打たれました。次回2003年の世界陸上はフランスで開催されますが、元宗主国であるフランスをよく知るジブティ人(同行したマオ技術委員長)に言わせると、「フランス人には、このホスピタリティーは無い。次回はこれほどの気持ちのよい思いをするのは無理だろう」とのことでした。

 

―― エティオピア選手団 ――

エドモントンへの空路、行きも帰りも、エティオピア代表団とずっと一緒でした。ハイレ=ゲブレセラシエをはじめとする選手たちと話す中で、普段は聞けない話ができたことも印象に残っています。が、とりわけ私の印象に強く残ったのは、彼ら、そしてジブティ人たちへの「通関検査の厳しさ」でした。日本のパスポートを持つ私がすんなり通過できるところで彼らは多くの時間を費やし、厳しいチェックを受けていました。亡命者や難民が後を絶たないアフリカ諸国の国民に対して、イミグレーション検査は厳しいものだと聞いてはいましたが、このことは、たとえ世界的に有名な選手といえども(否、だからこそ)例外ではないようでした。厳しいチェックがつづき、30数名を抱えるエティオピア代表団は、予定していたフライトに乗り遅れるということもありました。このようなことに彼らは慣れっこであるようでしたが、選手村にたどりついたときには疲労の色が濃く、さすがの彼らも、フロントの前でへたり込んでいました。しかし、それでもレース当日になれば彼らは実力どおりの力を発揮し、長距離種目を席巻していました。あらためて彼らの底知れぬ実力を見せつけられる思いでした。

 

―― アルメニア代表選手 ――

今回、ジブティの選手には何もできませんでしたが、選手村の食堂で知り合った、アルメニアのマラソン選手を偶然ながらサポートすることになりました。持ちタイムから考えると勝負をできるレベルでは全くありません。それでも、アルメニア陸連から6月末に、「世界選手権出場選手として選抜された」との報がアメリカの自宅に届き(アルメニア系米国移民ということになります)、約1ヵ月半の準備をしてきたとのことでした。興味深かったのは、彼女は普段、ニューヨークのライブハウスでシンガーとして生計を立てている、という話でした。シンガーとしては、夜働かなければならないため、ランナーとして不可欠な「早寝早起き」が習慣付けられないことが悩みの種である、と話していましたが、それでも大会最終日に行なわれたレースでは、彼女なりにまずまずの結果を出していたのではないかと思っています。世界選手権とはいえ、様々な立場のいろいろな選手が集っているのだな、とまた違った一面を見ることができたように感じています。

 

―― 途上国ゆえ ――

今回、選手の不参加という残念な思いもしましたが、反面、こういう不合理なことが頻繁に生じてしまう途上国であるからこそ、私のような経験も実績もない若造が、コーチとして世界大会へ行くことが可能なのだということは、肝に銘じておかなければならないと思っています。謙虚に熱く、研鑚をつづけてゆかなければならないと気持ちを新たにしているところです。また、森さんから様々な情報を送っていただいたり、アンビバレンスの皆さんのご活躍に刺激を受けたりしていることがあるからこそ、活動をここまで高められてきているのだと感じています。現地では、大会終盤に、以前からお会いしたいと思っていた、毎日新聞社の石井さんと少しお話させていただくこともできました。

手垢のついた、月並みな表現しかできませんが、あらためて皆さまに感謝申し上げたい、そんな心境です。