10月19日<世界ユース選手権、その後>

 

 世界陸上エドモントン大会の話と前後しますが、7月中旬、ハンガリーで「世界ユース選手権大会」が行なわれました。ジブティ代表選手としては、100mと800mに男子選手を各1名送り出しました。「東アフリカユース」の際にも引率指導者の役割を担ったハッサンコーチが、今回も代表監督として遠征しました。

 結果は、100mに出場したハッキム選手(17才)が12″00で予選落ち、800mに出場したモハメッド選手(16才)も1′59″08で予選落ちと、芳しいものではありませんでした。ハッキム選手は、全参加選手中、下から3番目のタイムで一次予選敗退に終わりました。モハメッド選手は、組で下位争いに終始した上での予選落ちに終わっています。しかし、世界大会へ参加したことによって、彼らはたくさんのことを学んできたようです。惨敗も、彼らにとっては「彼我の実力の決定的な隔たり」や「今の自分に何が足りないか」ということを考える大きなキッカケになっているようで、今まで積極的でなかった筋トレなどにも興味を示しはじめています。大会へ送り出したわれわれとしては、望んでいた通りの反応が返ってきつつあります。

人口60万人という小さなジブティ国内で、さらにサッカーやハンドボールなどと、少ない選手のパイを分け合っている状況にあっては、どの競技・種目でも、労せずしてトップになれることが往々にしてあります。陸上競技の長距離やサッカーのナショナルチームの選手になればそうもいきませんが、その他の種目では、ともすれば“井の中の蛙”に陥りやすいというのが現実です。今回の世界ユースへの参加は、若い彼らのためにも、またジブティ陸上競技界そのもののためにも、大きな意義もつものになったと、マオ陸連技術委員長らも、その成果を認めてくれていました。

 

―― 二人の亡命者 ――

 7月中旬の「世界ユース」、8月上旬の「世界陸上」は、わたしにとって初めて深く関わることになった世界大会であったため、ひとつひとつのことが強い印象に残っています。が、また別の意味においても、おそらく生涯にわたって忘れられないであろう経験をすることになりました。

 世界ユースへ代表監督として遠征したハッサンコーチは、ジブティに来て以来もっとも親しくしてきた現地人のひとりであり、公私を問わずかなりの時間ともに行動してきた人物です。このハッサンコーチが、世界ユースからジブティへの帰路、ヨーロッパへ亡命(難民として国外逃亡)するという事態が起こりました。10月を迎えた今現在、何の報もなく消息も掴めない(おそらくオランダにいるだろうと言われています)ため、戻ってくるのはまず不可能だと陸連の皆は言っています。彼は、ユース代表監督として、若手代表選手を取りまとめていただけでなく、企業チームで若手選手たちの監督を務めていました。

わたしにとっては、同い年という気安さもあり、何でも忌憚なく話し合える貴重な友人でした。毎日ケンカ腰で付き合ってきましたが、そんなことができたのも、同僚・友人・さらに同い年で同じ志を持つひとりの男としての信頼を置いていたからこそだと思っています。が、本当に困惑していたのは彼を慕って今までやってきた、若手選手たちでした。文字通り、彼は若手選手たちにとって精神的支柱となってきた存在であったため、亡命の事実を知った直後の彼らの混乱ぶりは、気の毒なほどでした。

さらに、悪いことはつづくもので、ハッサンコーチと同じくらいに親しくしてきたザック陸連事務局長までもが、世界陸上からの帰路、トランジットで立ち寄ったトロントにてカナダへ亡命してしまいました。彼の場合は兄がオタワに住んでおり(この兄もかつての亡命者です)、その兄を頼っての逃亡のようでした。彼も、わたしのひとつ年下と年齢が近いこともあり、遠慮なく意見し合ったり、仕事を依頼しあったりする間柄でした。通常はスポーツ省で働いていましたが、午後は陸連事務所にて事務作業一切を取り仕切り、若くして事務局長という要職を立派に執り行なっていました。

ハッサンコーチ、ザック事務局長ともに、彼らの家に招待してくれたり、私の家に呼んでマガイモノの日本料理を作ってやったり、また一緒に遊びに出かけたりと、非常に親しくしてきたため、今夏起こったことは、「兄弟のようなヤツが一度に二人いなくなったな」と感じさせられるような出来事でした。

一口に亡命と言っても、そんなに簡単にできるものなのかと思われるかもしれません。簡単とは言えないまでも、彼らにとっては、案外難しいことでもないようです。ジブティの隣国であるソマリアがかつて大量の難民を生み出したことは、記憶に新しいところです。国連からPKOも派遣されました。このソマリア国内は、今現在も無政府状態がつづいており、留まることなく流出する難民が、欧米に何百万・何千万という単位で国外逃亡しています。ジブティ人の多くは、彼らと同じ部族語「ソマリ語」を使用しています。同朋を非常に大切にする彼らにとっては、欧米に多くのネットワークがあり、受け入れ態勢があるも同然であるといいます。

また、亡命をする理由に関しては、生活環境の厳しさという点に尽きると思います。ジブティの失業率は60%とも80%とも言われており、たとえ職をもっていても給料の遅配は日常茶飯のこととなっています。わたしの友人二人も、ずいぶんこのことに悩まされていました。この二人以外にも、8月に800mの実力ある選手がオランダへ、少し前ですが5月に親しかった新聞記者がベルギーへそれぞれ逃亡してしまいました。この夏だけで、わたしの周辺だけでも、友人・知人が4名も亡命してしまったことになります。

ただでさえ国土も人口も規模の小さい国にあって、こんな現実を目の当たりにして感じることは、「人材の空洞化」ということです。スポーツや文化だけでなく、経済や社会の発展が覚束ないのも、理由なくして生じているわけではないことを痛感しています。

途上国で仕事をするにあたって、ある程度のことは何が起こっても不思議ではないという覚悟をもってやってきましたが、さすがに彼らの亡命を予想することはできませんでした。個人的には、とても残念なことが起こったものだと感じています。また、それ以上に、ジブティ陸上競技界にとって、ひいてはジブティのスポーツ界にとって、彼らの不在は、将来にわたって大きな痛手になるであろうと感じています。

しかしながら、今は次の展開を考えて、残った同僚たちと再スタートを切ったところです。本当に何が起こるか分からないので、今まで以上に、さらに先・先を読んでやってゆかなければならないと思っているところです。

ジブティ陸上競技界は、10月第一週に、新しいシーズンを開幕しました。